長い海外生活で失ったものについて考えてみた

1990年に日本を出てドイツに来て、かれこれ30年近くの年月が過ぎました。

今ではこちらの生活に慣れ切っていて特に不自由は感じていませんが、ここまで来る過程ではそれなりに一生懸命でした。目の前のことに集中せざるを得なかったので、「もしずっと日本にいたら人生どうなっていたか」について考えることはほとんどありませんでした。

外国で生活すると、自分の国では体験しないようなことを次々に体験します。そこから得られるものは多い。自分が知っている世界の外に出ると視野が広がるとよく言われますが、実際にそのような効果があると実感し続ける二十数年間でした。

でも、その一方で失われるものもやはりあるのだと思う。

私の場合、物事にあまり執着しない性格なので、「失ったものは失ったもので、まあいいか」と済ませていますが、実際にどんなものを失って来たのだろうなあとふと思ったので、ちょっと整理してみることにします。

外国暮らしといっても、当然、住む国・地域・時代・個人的な状況によって千差万別ですから、あくまで私個人の場合です。

私の場合、失ったなと思うものは主にこんなもの。

  1. 友達
  2. 日本語環境
  3. 食習慣・味覚
  4. 食以外の生活習慣
  5. 日本的なマナー
  6. お洒落
  7. 日本文化について学ぶ機会
  8. 親孝行の機会

一つ一つ見ていきます。

まず、1の「友達を失った」こと。これはもっともわかりやすい。私がドイツに来た1990年にはまだインターネットはありませんでした。国際電話料金もまだ高く、海を越えての通信手段は手紙が中心。渡独してしばらくの間は日本にいる友人と手紙のやり取りをしていましたが、そのうち互いに億劫になり、また、全然違う環境にいるとだんだん話題も続かなくなり、途絶えてしまいました。

私は一時帰国も数年に一度しかできず、実家が友人たちの住む場所と離れていて帰国中に会うのも簡単でないため、かつての友人達の多くとは私が日本を出て以来、一度も会っていません。

もちろん、ドイツに来てから、新たな友人・知人がたくさんできました。だから、寂しいとは特に感じていないのですが、あるときふと実感したんですよね。自分は過去との繋がりの多くを失くしていたんだなと。というのは、私の夫(ドイツ人)はちょくちょく言うんです。

「今度の週末、同窓会に出かけて来るね!」

「え、また同窓会?前も行かなかったっけ?」

「またって言うけど、3年ぶりだよー。実家が遠いから、同窓会でもないと滅多に旧友に会えないからね。この機会を逃したらもったいない。だから行って来るね!」

そういえば私、同窓会って一度も行ったことないな、、、。ドイツにいる私のところには案内も来ないし、仮に来ても同窓会のためにわざわざ日本に帰れないし。

そっかー。海外人生って、こういうことだったのね。しかたがないけれど、残念といえば残念かな。

 

日本語環境。これもわかりやすいですね。私がこちらに来た頃は、前述のようにネットもまだなく、日本語で情報を得る機会は極めて限られていました。日本の新聞や雑誌、書籍は入手が困難で、あってもとても高かったので、貧乏留学生だった私は触れる機会がほとんどなかった。子どもの頃から本の虫だったので、ドイツに来て一番辛かったのが「日本語の本を読めないこと」で、夢の中でよく紀伊国屋書店にいました。朝起きて夢だと知ったときにはガッカリしたなあ。まあ、そのおかげでドイツ語の本を読むようになり、読めるようになったのだから、かえってよかったのかもしれませんが。

今はネットもありKindleもありで何も不自由を感じませんが、このような環境になったのはつい最近のこと。最初の十数年は翻訳の仕事以外では日本語の活字に触れる機会がとても少なかったです。

 

食習慣・味覚。当然ですが、ドイツの食習慣は日本の食習慣と全然違います。最近は日本の食材が随分手に入るようになったとはいえ、ドイツにいると食べられないものがやはりたくさんあります。最初の頃は、日本の食生活の記憶が鮮明だったので、「日本のあれが食べたいな、これが食べたいな」とよく思っていました。餃子の皮が買えないから皮から自分で作ったり、ドイツにある食材を工夫してなんとか日本料理を作ろうとしたりして、「あれ?ドイツに来たら逆に料理が上手くなった!?」と感じたりもした。

ただ、自分が食べたくて一生懸命になっても家族はドイツ人だし、子どもの友達など家族以外の人がちょくちょく家に出入りするようになると努力が空回りになることが多く、手間かけて日本食を作るのも虚しいとだんだんテキトウになって行きました。食べたいときにはもちろん作るんですが、三食きっちり日本的な食事というのはもはやありえない感じ。また、いつの間にか精神的にもそれを求めなくなりました。

味覚そのものも変わったかもしれません。私は子どもの頃、ウナギが大好物でした。ドイツに来た当初は、「あー、ウナギが食べたい!」と悶絶していたなあ。でも、ウナギの蒲焼きはドイツでは食べられない。冷凍食品で手に入ることもありますが、高いし、やはりあまり美味しくないし、それに一度それにあたって食中毒でえらい目に遭ったことがあり、それ以来敬遠しています。そうしたら、いつの間にかウナギを食べたいと思わなくなった!もうかれこれ20年食べていません。一時帰国のときに食べることは可能ですが、ウナギは絶滅が危惧されているし、敢えて食べなくてもいいかと思って食べません。どんな味だったか、今では記憶があやふや、、、。

Facebookで日本にいる人たちの投稿を見ていると、よく思います。「うわー、美味しそうな料理。でも、これどんな味なのかな?食べたことがなくて、わからないな」。よく考えてみると、私、高級な日本料理や珍味などをほとんど食べたことがないんですよね。日本に住んでいたのは24歳までで、子どもの頃はあまり「大人の味」がわかりませんでしたし、大学生時代は貧乏だったので、たいしたものを食べていません。で、その後はドイツですから、絶品日本料理など口にする機会はほとんどなく生きて来ました。しかも、私がいない間にも日本の食はどんどん進化を遂げていて、新しい美味しいものが続々登場している様子です。

もしかして、私って舌が肥えていなくて繊細な味の違いとかわからないのかも・・・・。そう気付いたときには自分にちょっとガックリ。でも、そういうものを食べなくても生きては行けますし、知らなければ済むことでもあります。

 

食以外の生活習慣。これも随分失われました。ドイツ生活の最初の頃、日本人として一番こだわっていたことは、「家の中では靴を着用しないこと」です。掃除が大変になるからというだけでなく、心理的に嫌でした。夫には「日本人は家の中で絶対に靴は履かない」と説明し、理解してもらったのでよかったのですが、ドイツの住居には玄関というものが明確にはないので、「ここからここまで玄関ね」とラインを設定してもなあなあになるんです。家族はともかく、客人にまで厳密に玄関ラインを守ってもらうことはできません。「しかたがない」と許容し、客が帰った後に床を水拭きしたりしていたものの、そのうちそれが面倒になり、どうでもよくなりました。今では自分もなあなあに。

それから、お風呂にも入らなくなりました。ドイツのバスルームは毎晩お風呂に入るようには設計されていなくて、日本にいた頃の感覚で毎晩入浴していたら壁紙がふやけて剥がれてきたりカビが生えたりしました。洗い場がなくて湯船の中で体を洗うので、入浴後にバスタブのお湯を抜くと石けんカスがバスタブに付着して掃除も大変。だんだん面倒になってシャワーで済ませるように。私はここの部分で特に「非日本人化」が激しいようで在独の日本人仲間にも驚かれるのですが、一年に一度もお風呂に入らないこともあります。一時帰国で実家に滞在するときにすら、「お風呂めんどくさいなー」などと感じる始末。

 

日本的なマナー。日本で常識とされる立ち振る舞い方の中にはドイツでは不要なものが多いです。たとえば、日本では行儀が悪いとされる「歩きながらものを食べる」など、こちらではそれほど気にされません。ドイツ生活の中ではドイツの基準に合わせてゆるく立ち振る舞っていますが、たまに日本に帰ると、空港に着陸した瞬間に意識的・無意識的にカチッとスイッチが入り、日本人的な立ち振る舞いをするようになります。

ただ、このスイッチ、残念ながら完壁ではないです。自分ではちゃんと立ち振る舞っているつもりで、そうなっていないことが、、、。たとえば、食事の席で相手にお酌をすることなど。ドイツでは女性がお酌をすることはマナーとしてご法度なので、何もせずに黙って座っているのがすっかり癖になりました。私は自分がお酒を飲む習慣がそもそもないので、なおのこと、お酌という行為から遠ざかっていています。たまに日本に帰って人と食事をしているときに目の前の相手が手酌でビールを注いでいるのに気づいて、「はっ!しまった!気づかなかった」と気まずい思いをすることがあるんですよね。あとは、人前で平気で鼻をかんでしまったりとか。(逆に、人が鼻水をズルズルすすり上げているのを聞くとイラッとします)

 

お洒落。これも日本にいたときとは大変化しました。日本にいた頃の私はお洒落が大好きでしたねー。中学生の頃からファッション雑誌を見て研究していて、高校は私服の学校に通ったので、「明日学校に来ていく洋服のコーディネイト」を考える毎日でした。ブランド物には興味がなかったけど、安ものの洋服の組み合わせを考えるのが好きだったなあ。流行のスタイルは一通りだいたい試したし、大学生の頃は毎月髪型を変えてました。

それが今じゃ、「お洒落ってなんだっけ?」な状態です。まず、髪型をほとんど変えなくなりました。ドイツ人の美容師さんはアジア人の髪の毛を上手に切れる人が少なく、切ってもらうと失敗ばかり。怖いので、なるべく行きません。しょっちゅう美容室に行かなくてもいいように、万年ストレートヘアーという無難な髪型になってしまった。

服装も、私がこちらに来た当時は小さいサイズの洋服がほぼ皆無だったのでお洒落を楽しめる感じではありませんでした。最初は「あーあ」と思いながら諦めていたのですが、ドイツ人は概してお洒落には無頓着でこちらが何を着ようとあまり気にする人もいないし、日本の都会レベルでお洒落すると「今日どこか行くの?」と聞かれてかえって面倒なので、だんだんと「ジーンズでいっか」と無頓着に。今となってはこれが楽で。かつては一時帰国のたびに洋服を買って帰って来ていましたが、今はもう店を見にすら行きません。

美白とかも全然気にしません。だって、誰も気にしてないんだもん。エステサロンとか、ドイツにもあるのかもしれませんが、広告や看板を見かけることがほとんどないので美容ブレッシャーはほとんど感じていません。

 

日本文化について学ぶ機会。これはわりと最近、気づいたこと。ドイツに20年以上も住んでも、まだまだドイツのことをよくわかっていないなあ、知らないことが多いなあと日々、感じていますが、では日本のことならよく知っているのかと聞かれると、それもまたかなり怪しいです。

私は日本の伝統文化や歴史に直接触れる機会のとても少ない北海道で生まれ育ちました。16歳のときに初めて本州へ行き、瓦屋根の家を見て、「わっ!昔話に出てくるような家が今も残っているんだな!」なんて驚いたくらい、北海道というのは伝統色の薄い土地です。また、親の教育方針でテレビをほとんど見ずに育ったので、時代劇などにも疎かったのです。大学時代は東京で過ごしましたが、ディスコには通っても歌舞伎や相撲を見に行ったりなどはしなかったので、日本の伝統文化にほとんど親しむことなく、そのまま日本を出てしまいました。

国外にいても、自分に興味があれば日本文化について学ぶことはできます。大学には日本学という学科もありますしね。でも、少なくともこれまでは積極的に学んで来なかったので、よく知っているとはとても言えないし、また一般常識の範囲である程度知ってはいても自分の中にあまり染み込んでいません。今後、興味を持って真剣に知ろうとするかもしれませんが、現時点ではよくわかりません。

 

最後に、親孝行の機会。上に挙げたものについてはどれも、「まあ、海外に住むってことはそんなものだろう」と思って特に気にしていないのですが、この最後の一つだけは考えが足りなかったと感じます。日本を出たときは若かったので、自分のことしか考えていませんでした。親に孫の顔をちょくちょく見せてやれない、子どもに祖父母やおじさん・おばさん・いとこと滅多に会わせてやれない、そういうことになるとは想像が及ばなかった。自分が海外移住によって友達を失ったのは自分の選択の結果ですが、同じ選択が家族の権利や機会まで奪っているとは考えませんでした。この点だけは申し訳ない気持ちです。

 

他にもまだあるかしら・・・?また思いついたら書き足します。