自分の中の常識を疑うこと その1

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ネット上で個人が情報や意見を発信できるようになり、住んでいる地域や年齢、職業に関わらずいろんな人と交流できるようになりました。この数年、私は自分よりもずっと若い人たち、特に20代の人達とネット上でもリアルでも交流することが増えています。

若い人達と話すのは楽しいです。

同年代や年上の人と話すのが楽しくないというわけではないけれど、若い人は何かが違うなと思う。何が違うのかなと考えて思い当たったのは、「若い人達の多くは、まだ結論が固定されていない」ということです。思考が未来に向かっていて、オープンエンドなのです。若い人達はそれぞれ意見を持っていますが、自分自身の意見にまだあまり縛られていないという印象があります。だから、こうかもしれないね、ああだといいねと一緒に考える楽しみがあるなあと。

年を取って来ると誰しも多かれ少なかれ思考が固まって行くのでしょう。それは、経験を重ねるうちに何かがわかった気になるということかもしれませんし、特定の思考パターンが癖になって、他の発想がしづらくなるということかもしれません。それとも日々の生活が忙しくて新たにいろいろ考えるのが億劫になるからでしょうか。

私自身にもやはりそういう部分があると自分で気づきます。ある特定のテーマについて、いつも同じような思考をし、同じような結論を出す。考える前から自分が出す結論が薄々わかっている。これほどつまらないことはなく、そういうつまらない思考を繰り返す自分にウンザリ。

私は違う思考がしたい。自分の中の「当たり前」を破って別の結論に自分を導きたい。そう思うとき、敢えて自分とは違う考えの人、自分が知らないことを知っている人の話を聞きたくなります。とはいっても、嫌なタイプの人と我慢して話すということではないです。リアルな場で気が合わない人と会話するのは疲れるので。直接話すのではなく、そういう人達が書いたものを読んだり、インタビューを聴いたりして、その上でいろいろ考えます。

全く同じ現象を見ていても、立場により、視点により、その人のそれまでの経験により、全く違って見えるものです。この人の考え方は私とは違うけれど、どこがどう違うのか、何故違うのか。何故この人はこのような考え方をするのか。持っている知識の種類が違うのか。生きてきた環境が違うのか。この人が重視するもの、求めているものは自分とはどこが違うのか。

そして重要なのは、「私が見落として来たものは何か」ということ。

私には物事に対する自分なりの意見があります。テーマによってはっきりとした意見を持つこともあれば、あまり深く考えたことがないからぼんやりとした意見しかないこともある。でも、どちらにしても私の意見はこれまでに私が知り、体験して来たことを材料に導き出した結論に過ぎない。私は多くを知りません。考えるための材料が限られています。もっと私の知らない他の材料があるのかもしれない。私と違う考え方をするこの人は、私が持っていない材料を持っているのかもしれない。それは一体なんだろうか。

知らないことを知るということは、少し怖いことでもあります。もしかしたら、それを知ることで自分の中の常識が崩れてしまうかもしれない。きっとこうに違いないと強く思っていたことが壊れてしまう可能性があります。壊れてしまったら、また最初から組み立てなければならない。それはとてもエネルギーがいる作業です。

面倒なだけならまだ良いのです。もっと辛いのは、それまで自分が正しいと思って主張していたことが間違っていたかもしれないと気づく瞬間。自分自身の主張を否定せざるを得ない新しい結論に辿り着いたとき、認めたくない、気づかないふりをしたいという心理が働くのですよね。だって、私は過去にいろんな人にその考えを披露してしまいました。今さら間違いでしたと言うのは恥ずかしい。いや、実際には間違いに気づいたからといって、いちいち訂正して回ることはできないし、多くの人は私の意見など覚えてもいないでしょうが、それでも自分の中には気持ちの悪さが残ります。

そういう都合の悪い状況を避けたければ、異なる意見など聞かず、新しいことも知ろうとせず、これまで通りの意見をキープすればいい。

でも、、、それじゃなんだかつまらない。

進化したいのですよ。自分なりに。昨日までの自分にこだわることに、そんなに意味はあるのだろうか。昨日までの自分は昨日までの自分。それは終わったことではないか。大事なのはこれからの自分であり、少しでも前進するためには自分の中の常識を疑うことが必要なんじゃないかと思う。

変わるときは少し辛いこともある。でも、変わった先には昨日までの自分が手にしていなかったものがある。それを楽しみに生きて行きたいんですよね。だったら、今いる場所に安住しないことだ。頭の中の模様替えをせっせとしなくては。

そんなことをよく思います。

こう考えるようになったのにはきっかけがありました。次の記事でそれを具体的に書きます。

 

 

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