人生に効率はあまり求めて  いなかったという話

世の中の変化がどんどん速くなって、忙しくなっているからでしょうか。あるいは可能性の種類が多くなったから?効率とか生産性という言葉を頻繁に耳にします。

時間は有限かつすべての人に平等に1日24時間だから、有意義に使いたいですよね。やりたいこととやらなければならないことがあるなら、やりたいことをする時間を確保するために、やらなければならないことは効率良く済ませたいし、仕事の際にも同じ時間内にできるだけ効率的に作業を進めた方が良い。なんとなくだらだらしていても、時間は容赦なく過ぎて行きますから。それに、短時間で捗ったときは気分が良いものですし。

うまく実践できているかはともかく、私もそう思います。

個々の作業ということに関しては、効率は良い方がいいのでしょう。でも、ふと考えてみました。人生という大枠ではどうなのかって。

自分のこれまでの50年ちょっとを振り返ってみたところ、効率的に生きて来たとは言えないことがわかりました。むしろ、かなり非効率なことばかりして来た気がします。

効率を第一に考えていたなら、そもそも外国に移住などしなかったのではないかと思います。12年もかけて漢字の練習をして日本語の読み書きを習得し、高等教育を受け、社会がどのような慣習やルールに基づいてどう機能していているかを知り、助け合える家族や友人との関係を構築したというのに、わざわざそれらの大部分が通用しない外国に生活の場を移したのです。

非効率極まりないです。何をするにも、生まれ育った国にいるときよりも時間や労力がかかります。ときにはお金も。いろいろ不便なんですよね、外国は。その国のインフラや仕組みはその国のマジョリティのニーズに合わせて作られており、日本人のマジョリティのニーズとは違いますから、使い勝手が悪いです。

家具一つ取っても、日本人の中でも特に体の小さい私にはドイツの家具は大き過ぎます。アパートの天井から吊り下げられた備え付きのキッチンの棚は高すぎて、いちいち踏み台を持って来なければ中のお皿を取ることができない。ドイツの標準サイズの椅子やテーブルも高さがありすぎて、足は常に宙ぶらりんで疲れます。そして、なんでも重い!最近の製品はかなり軽量化されましたが、昔のドイツの掃除機はものすごく重くて、床を掃除するだけでもまるで戦いのようでした。

食事作りも非効率です。日本にいれば最寄りのスーパーで大抵のものは揃うのに、ドイツで日本食が食べたいと思ったら、遠くのアジアショップまで食材を買いに行ったり、手に入らないものは一から自分で作ったりと、時間も手間もかかります。

そして、やはりなんといっても非効率の最もたるものは、言語でした。ドイツ語を使えるようになるために費やした時間とエネルギーは膨大で、しかも、ある程度使えるようになっても、自分の100%の言語的パフォーマンスはなかなか出せません。趣味の読書だって、わざわざ英語やドイツ語で読んだりせずに日本語だけで読んでいたら、その方が楽だったでしょう。

ドイツの大学で7年間学んだのですが、最初の頃は非効率も甚だしかったです。「これが日本語だったら、もっと楽に効率良く学べていたのではないか」と思うことがよくありました。そして、せっかくドイツ語で論文を書けるようになったのに、それが終わると性懲りも無く今度は、英国のオンライン大学に登録して学び始めてしまいました。

なぜわざわざそんなことをするのでしょうね。自分でもそこに明確な答えは見つかりません。勝手知ったる日本に住んで、使い慣れた日本語を駆使して生きる方がよほど効率が良かったのに。日本は学術的にも先進国でほとんどの学問は日本語で修められるのだから、そうすることが賢い選択だったのかもしれません。もし、すべての高等教育を日本で修めていたなら、もっと早く前に進むことができ、その後の人生も違っていたかもしれないです。

でも、どういうわけか、私は自分で選んで外国に住んでいるし、わざわざ面倒なことばかりしながら生きているんですよね。

きっと、効率性ということは私にとってそれほど重要なことではなかったのだろうなあ。無意識のうちに効率性よりも重視していたものがあったのだろうと思うんです。それはなんだろう?チャレンジ精神かもしれないし、単なる好奇心かもしれない。そして、非効率な生き方をして来たことについて、後悔は感じていません。むしろ、最短距離で最適コースを通って来たときよりも多くのものを拾い集めて来たのではないかという気すらしています。(後付けの自己正当化と言われれば、そうかもしれないですけどね)

効率性が大事というからには、人は何かしらの目標を設定し、そこに早く到達するための方策として効率を考えるのだと思います。では、自分にとっての人生の目標とはなんなのか。私の場合、それは少なくとも「成功」ではありませんでした。そもそも成功の定義とは?と聞かれたらよくわかりませんが、仮に「仕事の業績や経済力で世間から認められること」が成功なのだとしたら、それを特に目指したことはありません。もちろん、仕事をするなら良い仕事がしたいし、お金もあった方が便利だし、人に認めて貰えれば嬉しいですよ。でも、私にとって一番重要なのは、自分が本当に好きなこと、幸福を感じられることをするということです。そしてどうやら、私にとっての幸福感は効率に比例して高まるわけではないようです。

苦手なことをするのは非効率だから得意なことに集中すべきという話もよく聞きます。理屈ではよく理解できるのですが、こちらの記事にも書いたように私はそれを求めていないのですよね。人よりも得意なことなんて、私には一つか二つくらいしかないので、それだけやっていたら、なんだかすごくつまらない人生になってしまいそうです。嫌いなことを苦しんでやろうとは全然思いませんが、才能がなくても、進歩が遅くても、いろんなことをやってみたいです。結果としてなんの「成功」もできなかったとしても。

結論づけると、回り道をすることで見える景色を楽しんでいるということなのかもしれません。不要なものを切り捨てて必要なものに集中する人生もいいと思いますよ。それを否定しているわけではありません。私は、一度しか生きられないから、いろんな景色を見てみたいと感じるのですが。