辛い状況から脱出する鍵は状況の客観視 〜 治らない病気と生きて行くためにしたこと  その1

生きていると辛いこと、辛い状況がたくさんありますよね。

普段、能天気にしか見えないかもしれませんが、私にも辛いことが過去にいろいろありました。自分の経験したことが平均的な人よりも辛かったとは主張しません。いかにも元気に見える人でも、実は何かしら辛いことを乗り越えているものです。この人の不幸に比べればあの人の不幸はたいしたことがないということも言えません。なぜなら、辛いというのは主観によるものなので、はたから見て小さなことでも、本人にはものすごく辛いということがいくらでもあるからです。

とにかく、私もたぶん人並みに(?)辛いことを経験しています。今までに、死にたくなるほどどうしようもなく辛い思いをしたのは大雑把にいって2回ありました。1度目は若い頃で、人間関係に苦しみました。これについては詳しく書くつもりはありません。もう済んだことでトラウマも残っていないからというのが理由ですが、それだけでもありません。自分だけの問題ではなかったので、書いてもそれは私の視点から見た物語にしかならず、巻き込まれた他の人たちに対してフェアではないからです。

もう一度の辛い経験は、わりと最近、8年くらい前に治らない病気にかかったことです。この病気の症状のせいで、約1年間家に閉じこもって生活することになりました。しかも、治る見込みがないので、一体どうやってこれからの人生を生きていけばいいの?と絶望的になりました。

でも、今では嘘のように不安から解放されて、幸せに暮らしています。病気は治っていないのですが、まあいいかと思えるようになりました。そして、病気をしたことでパワーアップした気がします。辛いことというのはいつでも起こりうるものだし、起こるときは前触れなく起こります。未来にも現時点で想像できないような辛いことが待っているのかもしれません。でも、なんとなく「辛いことに見舞われても、どうにか乗り越えていけるだろう」という気持ちがあり、心配はしていません。起こっていないうちから考えてもしょうがないですし。

病気の話も書くつもりはありませんでした。不幸自慢をしたいわけじゃないし、話せば長くなるし、、、。でも、病気になったのは誰のせいでもないただの不運であり、それについて話しても人を傷つけるわけではないと思うので、やっぱり書いてみることにします。誰かの役に立つかどうかはわかりませんが。

 

体の不調はある日突然やって来ました。

不調といっても、最初は予兆のようなものでした。朝起きたら、自分の声が二重に聞こえたのです。あれっ?どうしたんだろう?と不思議に思いましたが、そのときにはたいしたことだとは考えませんでした。その前の日に泳いだので、耳に水が入ったのかな?と思い、タオルで耳を拭いて様子を見ました。まあ、すぐに元に戻るだろうと。

しばらくして、小学生だった娘がバイオリンの練習を始めました。すると、バイオリンの音が割れて二重に聞こえます。しかも、音程も狂っている。何これ?気がつくと、音という音がすべて割れて二重に聞こえてチューニングが狂っているんです。うわ、耳がサイケになった!

翌日になっても治らないので、耳鼻科へ行きました。症状を説明して診察を受けましたが、特にどうにもなっていないよと言われ、聴覚検査の結果も正常で、薬も出されず、そのまま家に帰されました。わけがわかりませんでしたが、とりあえず難聴ではないとのことで安心しました。まあ、そのうち自然に治るだろう。最初はちょっと面白がってすらいました。元々、私はサイケデリックな音楽が好きなので、うわー、もしかしてLSDとかやったら世界がこんな風に聞こえるのかな?とか言っていた。

ところが、治らなかったのです。

耳がそのような状態になって数週間後、娘がギムナジウムに進学し、入学式がありました。教会のホールで在校生によるミュージカルの出し物があったんですが、教会の中は音が反響するので、サイケな耳ではかなり辛く、かといってせっかくの娘の入学式なのに途中で抜け出すのもまずいと、我慢して最後までその場に座っていました。

疲れたのか、家に帰ってベッドに入るとまもなく眠りに落ちたのですが、真夜中にものすごい音に起こされました。飛び起きると、左の耳から蝉の鳴き声のような音がしています。びっくりして夫を起こし、何が起こっているのかを説明しようとしたのですが、夫の声が聞こえません。自分の声は聞こえるのですが、誰の声だかわからないような不気味な声になっています。そして、やっぱり割れて二重になっています。

夜が明けて、夫に付き添われて改めて病院の耳鼻科へ行き、再検査を受けたところ、突発性感音難聴という診断名がつきました。そしてわかったことは、突発性難聴は難病に指定されており、原因不明で有効な治療法もわかっておらず、治らない人も多いということです。ドイツの健康保険でカバーされる治療法にはトレンタールという耳の血行を良くする薬とステロイド薬の二種類しかなく、どちらもその効果は明らかではないが、治る人もいる。しかし、副作用の強い薬なので長期にわたる投与はできない。1クールやってみてダメだったら諦めるしかないとのこと。

そう言われて不安になりましたが、やってみるしかありません。すぐに外来でのトレンタール点滴治療とステロイド内服が始まりました。経過をはしょりますが、結果は「効果なし」でした。つまり、左耳は壊れたままになったということです。

幸い、難聴の程度は「中程度」で、完全失聴ではありませんでしたが、「聞こえにくい」だけでなく、次のような様々な症状が残りました。

  • すべての音が二重に聞こえる
  • 電話の受話器を左耳にあてても、何も聞こえない
  • 音がどちらの方向から聞こえてくるのか判断できない
  • 聞こえにくいのに、聞こえすぎて、びっくりして飛び上がる(意味不明に聞こえると思いますが、これは聴覚補充現象といって、聞こえなくなった部分を補おうとして聴覚の残った部分が過敏になることによるもので、ほんのちょっとの物音も大音量に聞こえてしまう、すごく辛い症状です)
  • 耳鳴りのような症状正確には私のは耳鳴りではなく別の現象のようなのですが、いまだにどの医者にも理解してもらえないので、便宜上、耳鳴りとしておきます)

難聴になって聞こえないことよりも、上の黒字にした症状の方がずっと辛く、なんとかして欲しいと医者に訴えたものの、「まあ、中程度の難聴だし、そのうち慣れるから」と言われるだけで、対策を提示してもらうことはできませんでした。治療したけど治らなかった、そして他の治療法はないということに激しくショックを受けた私。でも、まだどこかで信じられない気持ちがあって、「そのうち自然に治るのでは?」「治す方法がどこかにあるのでは?」と思わずにはいられません。ネットで情報を探し回り、「日本ではこんな治療をやっているらしい」とわかると医者にそれを話すのですが、「その治療はドイツでも昔やっていたけれど、効果がないことがわかったので今はやっていない」と言われてしまいます。

ネット上には、「感音難聴は、早く治療すれば治ることもあるが、開始が遅れると手遅れだ」「自分はあれやこれをやったが効果なく、地獄の苦しみを味わっている」などの書き込みが溢れています。早くどうにかしなければと焦るのですが、できることが見つからない。このまま治らないかもしれない、いや、それは受け入れられないという気持ちで頭の中が一杯になりました。

そして、日常生活は困難を極めました。聞こえにくいだけではなく、「あらゆる音が割れて歪んで大音量となって聞こえる」のです。家の中で誰かが食器を重ねただけで、薬の箱をちょっと振っただけで、文字通り飛び上がるほど驚いてしまいます。ましてやテレビを見たり、掃除機をかけたりなどは不可能で、家族と会話することも辛くてできず、地下の静かな部屋にただ籠り切ってひたすらネットで解決策を探し求める日々でした。最初の頃は、「きっと治る」「落ち着け」と自分に言い聞かせていましたが、毎朝目が覚めて「きっと今日は治っている?」と思い、恐る恐る声を出してみて、やっぱり治っていないことを確認するときの落胆は酷いものでした。

すべての音が苦痛なので、誰にも会うことができず、音楽を楽しむどころか夫に話しかけられるだけでも苦痛でしかないという状態が何ヶ月も続き、気づいたときには鬱になっていました。頭の中は「いつ治るんだろう?」「どうしたら治るだろう?」「治らなかったらどうしよう?」という考えだけがグルグルと回って、他のことは何一つ考えることができなくなりました。それに自分で気づいて、「まずい、メンタルをやられた」とますます焦り、、、、。

そしてそこにさらに追い討ちをかけるように、別の病気が発覚しました。知らないうちに高血圧症になり、血圧が危険のレベルまで上がっていたのです。私は若い頃は低血圧でしたが、亡くなった父が高血圧でした。きっと遺伝的なもので、年を取っていく間に少しづつ高血圧気味になっていたのに気づかずにいて、耳の病気のストレスでますます血圧が上がって発覚したということだったと思います。すぐに治療を始めたのですが、降圧剤はただちに効くようなものではないので、下がって来るまでしばらく時間がかかります。でも、すでにメンタルをかなりやられているので、血圧を測定して高い数値を目にすると恐怖を感じてしまい、そのストレスでいっこうに数値が下がらない。下がらないのでますます不安になる。その悪循環で動悸がして来ました。そして、今度はその恐怖でパニック障害を併発。1日に何度も特に理由もなくパニック発作に襲われ、体が震え、冷や汗が出て止まらなくなりました。そして、夜は1時間ごとにパニックで目が覚めて恐ろしくて眠れない。

この時点で、先に挙げた耳の症状に加え、

  • 高血圧
  • パニック障害
  • パニック障害にともなう重度の不眠症

になってしまい、日常生活がまったくできなくなりました。ほぼ寝たきり。これは本当にまずいと思い、耳鼻科に行って相談したところ、これ以上耳鼻科でできることはないからと同じ病院の精神科に回されました。しかし、「音が苦痛すぎて会話をすることが超困難」という状態なので治療もできないし、そもそも車の運転もできなくなり、バスで通うにも「音が怖くてバスに乗れない」のでどうにもなりません。とりあえず不安障害だからということで頓服的にベンゾジアゼピン系の精神安定剤を処方されましたが、すると今度はあっという間にベンゾジアゼピン依存症になってしまいました。依存しやすい体質の人には危険だということでそれ以上処方されませんでしたが、精神安定剤が服用できないと思うとますます恐怖を感じたのと、離脱症状が激しく、薬が切れると焦燥感でいてもたってもいられずに動き回り、一度は本当に窓から飛び降りる寸前でした。どうにか思いとどまれたのは「自分が死んだら自分はこの苦しみから解放されるけど、夫や子供達、母や兄弟が一生苦しまなければならなくなる」とわかっていたから。

半年ほどこのような日々が続き、その間、夫は一度も私にキツい言葉をかけたりすることなく常に暖かくサポートしてくれました。夫もすごいストレスだったに違いありませんが少しも顔に出さずにいつも落ち着いていました。今思い出しても、夫には感謝しかありません。

しかし、そんな状態でも生きてはいかなければなりません。耳が治らなくとも、メンタルだけはもとに戻さなければ。そう思うものの、精神科に通うということが耳のせいで困難。どうしたものかと思っていたら、入院治療の受けられる病院があると知り、相談に行きました。ところが、ここでも打ちのめされてしまいます。

「耳の病気が辛くて鬱とパニック障害になった。耳の方は治療法がないので、メンタルの方を治したい」と必死の思いで伝えると、医者から返って来たのはこんな言葉でした。

「なるほどわかりました。入院して頂けますが、この病院にはいくつかルールがあります。毎日、グループ作業に参加する義務があります。皆で体験を語り合うのです」

「グループ作業!?そんなものには参加できません。音が苦しいんです。それに、語ることなんてありません!」

「いいですか。ここはメンタルクリニックです。ここに入院している患者さんはみなトラウマを抱え、そのために体に不調があるのです。あなたも同じです。あなたにはトラウマがあるのだから、それを克服しなければなりません。耳の病気になったのは、子供の頃にトラウマになる体験をしたからです。それを洗いざらい吐き出さないと耳の病気は治りません」

「トラウマなんてありませんー。鬱になったのは耳の病気になったからで、その前は明るく元気で幸せでした。夫に聞いてください」

「いいえ、あなたにはトラウマがあるはずです!!」

もう無理ーーーーーーー!!

なんで赤の他人に責められなければならないのでしょうか。ただでさえ辛いのに。

泣きながら家に帰りました。メンタルクリニックの先生は赤の他人。ましてや耳鼻科の知識もない。よかれと思って言ってくれたのだろうけど、私の状況を理解などできないのです。

このとき、悟りました。

人に助けてもらおうと思っているうちは解決しない。自分でどうにかしようとしなきゃならないんだ。自分に治ろうという意思がなければ、誰も私を救い上げることはできない。自分が辛いのは他の人のせいじゃない。自分のせいでもないけど、結局、自分を幸せにできるのは自分だけなんだ

こう思った瞬間、カチッと自分の中にスイッチが入りました。そして、早速メンタルを立て直すための対策を考え始めました。

自分でヒーリングプランを立てて実践しました。これがうまくいき、その2ヶ月後にはほぼノーマルな精神状態に復活。再び普通に日常生活が送れるようになりました。そしてさらに2ヶ月後には家族と旅行にも行くことができ、楽しい毎日が戻って来ました。精神的に立ち直ったことで、耳は治ってはいないけどあまり気にしなくなり、気にしなくなったことで症状が軽くなり、まあどうにか症状とつきあっていけるかなというレベルで今は落ち着いています。普通に人と会っておしゃべりする分には今はまったく問題ないです。

長くなったので、どうやって立ち直ったかについては次の記事に書きます。