海外在住日本人が海外絶賛か日本絶賛に二極化しやすい理由

インターネットが普及して、海外に住んでいる日本人も日本の言論スペースに簡単に参加できるようになりました。ブログを通して海外生活やその中で感じること、思うことを日本語で発信する人が増え、SNSではさらに気軽に情報・意見交換ができる時代になり、海外在住日本人の考えていることが在住者同士の間で、また日本にいる人にも可視化されて行っていますね。ネットのない時代には、海外在住者または海外滞在経験者のごくわずかが体験記を発表する程度で、日本にいる人たちには彼らが何を体験し、何を感じ、考えているのかはほとんどわからなかったでしょう。そう考えると、面白い時代になったなあと思います。

そんな流れの中で見えてきた現象は、意見を発信している海外在住日本人は「自分が住んでいる◯◯国は素晴らしい。それに比べて日本はダメ」と日本に批判的な人と、「◯◯国に住んでみてよくわかった。日本は素晴らしい」と日本を全面的に褒める人にわりあい明確に分かれるということです。二極化していると指摘している人もいます。

実際には二極化しているというほどではなく、中間的な人の方が多いのではと推測しますが、中間的な人はあまりネット上で積極的に発信しないので、表面上、二極化して見えるのはあると思います。これについて、長いこと考えて来たことを、海外在住の一人として反省も込めて書いてみます。

 

「◯◯国は素晴らしい」「いや、やっぱり日本が最高」という、住んでいる国と日本を比較してどちらかを良しとする現象は、海外生活を始めて遭遇する数々のカルチャーショックに起因しているのですよね。

海外に来てまもない頃は何もかもが珍しく、日本との多くの違いに驚きます。海外では「何これ?日本ではありえない!」と思うことの連続。ごく短い滞在であれば、部外者として日本との違いを面白く観察し、楽しむことができるでしょう。でも、長期に渡ってそこで生活することがわかっている場合、いろいろな場面で当事者になるわけですから、自分の振る舞い方をその都度決めなくてはなりません。日本人だから日本にいるときと同じように振る舞うのか、それともその国で「普通」である振る舞い方をするのか。そして多くの状況で、日本的な振る舞いや考え方は通用しないことに気づく。スムーズに物事を動かして行くためには、その国のやり方や考え方に合わせなければならない。ここまでは自分が実際に海外生活をしたことがなくても、きっと容易に想像できますよね?

しかし、ここからは海外生活を実際に体験しなければわかりにくいことではないかと思うのですが、日本との違いを受け入れるには、それまで自分が日本の中で培って来た価値観を壊さなければならないことも多いのです。生活上のごく表面的なことであれば郷に言っては郷に従えで、それほど抵抗なくその国のやり方を受け入れらるものですが、親から受け継いだ価値観や教育の中で叩き込まれた考え方をあっさりと放棄し、それとは異なるもの、それと対立するものを受け入れるのは、なかなか大変なこと

それまでの自分の価値観を壊されるのが嫌だ!という強い抵抗感があると、「こんなのは無理。日本の方がいい」と思い、それが高じるとその国の何から何までが嫌になって、逆に日本のすべてが素晴らしく見えるようになる。その国に馴染めないことが原因で自らのアイデンティティを「日本人であること」に強く求めるようになるのではないかと思います。

その逆はこう。もともと日本にどこか馴染めないものを感じていた、納得できない点があったという場合、海外でその問題が解決すると、その国をきっとポジティブな目で見るでしょう。そして、カルチャーショックとなりがちな日本との違いも前向きに受け止め、「こういうのもアリかな」と比較的すんなり受け入れる傾向があるのではないでしょうか。このタイプの人は日本的な価値観に疑問を持っているので、それが壊れることへの抵抗は弱く、異なるものも「こういうのもアリ」と受け入れ、そのうちそれが「この方がいいな」に移行して、さらにそれが進むと「こうであるべき。なぜ、日本もそうしないのか?」と日本に対して怒りを感じるようにまでなる。

でも、海外生活をする人の皆がこのうちどちらかのタイプだということではなく、大抵の人は二つの異なる価値観の中で常に揺れているものだと思います。日本との違いを頭から否定すれば、そこで生活して行けません。だから、誰しもある程度は現地化する。どの程度現地化するか、どのくらいのスピードで現地化するかは、人によります。

現地化するということは適応するということと同義なので、その本人にとっては必要なプロセスなのですが、うまくその国に順応できると、今度は日本との間の心理ギャップが大きくなるという副作用があります。住んでいる国と日本との違いが多ければ多いほどギャップが激しくなりますよね。結果として、その国には適応できたが、日本に帰ると逆に馴染めないという現象が。

海外生活をしていない人から見れば、「バランスが大切なのではないか?」「それぞれの良いところをうまく取り入れればいいのでは?」「海外にいるときには海外の考え方に合わせ、日本では日本の考え方に合わせるというふうに使い分けたら良い」と思うかもしれません。

それは理想的です。

それは理想的ですが、実際には難しい。

「和食を食べるときはお箸を使い、洋食のときはナイフとフォークで」とカトラリーを使い分けるように、複数の異なる価値観セットを常に頭の中に携帯し、状況に応じて出し入れするということは困難です

一人の人間の中には、ある程度の価値観の統一性が必要なのだと思います。相反する考え方を洋服を着替えるようにパッパと交換することはできないのです。そうしようとすると、心理的に大きな負担がかかってしまいます。海外在住者は異なる価値観や文化の中でどうにかうまくバランスを取ろうとしているものですが、それには大きなエネルギーが要るのです。特に、物事を深く考えるタイプの人は多大なエネルギーを使って考え続けています。いっそのことどっちかの価値観に偏ってしまった方が、安定が良くて疲れないという面があるかもしれません。

 

海外在住者がよく言う、「海外生活で視野が広がった」というのは、新たな価値観を取り入れたということで、新たな価値観を得たことで景色が違ってみえるようになる、今まで見えていなかったものが見えるようになるというのは、素晴らしい体験だと私はこれまでの長い海外生活の経験から強く感じています。

その一方で、多くの異なる価値観を取り入れていくと、それだけゆらぎも大きくなりがちです。自分の中の価値観を統一したい(そしてラクになりたい)という無意識の欲求と、偏らずに相対的でいるべきだという意識との綱引きが続いていく。

 

別にオチはないのですが、海外で暮らすということには、そんな心理の揺れ動きがついて回るものだということが書きたかったのです。