ドイツ語習得の長い長い道程 Vol.8 子育て時代 後半

(カジュアルなドイツの小学校の入学式。みんな普段着)
(カジュアルなドイツの小学校の入学式。みんな普段着)

 

2006年4月、私たちは3年7ヶ月住んだ日本を離れ、再びドイツへ戻って来ました。

以前住んでいたフランクフルト近郊へ戻るのかと思っていたのですが、夫が異動を命じられたのはフランクフルトではなく、ベルリンでした。そこで、ベルリン近郊に住む場所を探したところ、旧東ドイツ側は西側に比べて地価がかなり低いことがわかり、それならと思い切って家を買うことにしました。現在住んでいる家は、そのときに中古で買った家です。

 

ところが、引っ越しが無事住んだとホッとしたのも束の間、会社からはとんでもない指示が!

「フランクフルトの方で人が足りない。やっぱりフランクフルトへ行ってください」

ええっ!?今さらそんなことを言われても、もう家を買ってしまった!

夫は抵抗しましたが、フランクフルトで人がどうしても必要になり、他に誰もいないからと説得され(まるで日本の会社の人事みたい!)、1年半という期限付きでフランクフルトに単身赴任することになってしまったのです。そういうわけで、ドイツに戻っての新生活は私と子ども達だけでスタートするという、思ってもいなかった展開に。

 

さて、ドイツで私を待っていたのはまさに「子育て時代 前半」の続きです。

 

子ども達が通うことになった小学校では相変わらず次々とよくわからないことが発生しました。私もこの頃にはもう、よほど方言などで訛っていない限り、相手のドイツ語が聞き取れないということはなくなっていて、ごく一般的な場面で使われる言葉で知らないものはほとんどない状態になっていましたが、それでも学校の保護者会などに行くと、どうも話がよく見えません。どうやら、もはやドイツ語そのものの問題ではなく、背景知識の欠如によるところが大部分だったようです。

 

たとえば、あるときの小学校の保護者会で担任がこんなことを発言。

「もうすぐクラスでは××プロジェクトを行う予定になっていますが、資金が足りません。そこで、各ご家庭でケーキを一台づつ焼いてお子さんに持たせて頂き、それを校内で販売して、その売り上げをプロジェクトに充てたいと思うのですが、いかがでしょうか」

私は、ぽかーん。

学校行事のためにケーキを焼いて寄付?それを学校で販売?隣に座った保護者に思わず聞いてしまいました。

「ねえ、それ、誰が買うっていうの?」

するとその人は平然として、「そりゃ、子ども達でしょう」と言う。

頭の中をはてなマークが飛び交います。学校でお菓子を販売して、それを休み時間に生徒がお小遣いで買う。学校がそれを奨励。生徒が買い食いに使ったお金を学校が集め、行事に充てる。うーん・・・妙なコンセプトだな。

それはどうかと思いますと反対しようとしたら、周りの保護者達は全員、賛成の様子。どうやら、ドイツではごく普通にあることらしいのです。

一事が万事この調子。一体ドイツでは何が常識で何が非常識なのかわからないまま、唖然としたり疑問に思ったりしながら、とにかく見よう見まねでやって行くしかありません。

 

ドイツでの子育てにおけるもう一つのハードルは学校の宿題です。ドイツでは子どもの勉強は親が見るものという考えが強く、学校は親がサポートすることを前提にした宿題を出すことが多いんです

たかが小学校の宿題くらい、難しいことなど何もないはずなのですが、なにしろそれが全部ドイツ語。「これどういう意味?教えて」と子どもに聞かれても、すぐに答えられない!まともに答えられるのは英語くらい。算数は万国共通だから大丈夫かと思いきや、教え方は日本と随分違いました。筆算の書き方からして違う(下の写真を参照)ので、手伝うこちらの頭が混乱してうまく教えられません。子どもにも「お母さん、わからないんだ」と思われるし。いや、できる、できるの!できるんだけど、ちょっと待って!という意味不明な言い訳を苦し紛れにつぶやくのがせいぜい。まったく情けない〜〜。

 

 

小学校を卒業すると、子ども達は今度はギムナジウムという進学校に入学しました。ここでも引き続き、よくわからないことだらけ。ただ、学年が上がるにつれ、子ども達は親の手を借りずにほとんどのことを処理するようになるので、その点ではどんどん楽にはなりました。

しかし、親の助けを必要としなくなる、自立に向うということはすなわち「親の言うことは聞かなくなる」ことを意味します(うちの子達はもともと聞きませんでしたが)。思春期に突入すると好き勝手やりたい放題、注意すると逆ギレ。日本に住んでいたときにはドイツ語はすっかり忘れて日本語ネイティブになり切っていた娘も、ドイツで学校生活を送るうちに完全にドイツ語が優位となり(まあ、そうでないと困るのですが)、ドイツ語でぎゃーぎゃーとまくしたてて来ます。こちらも負けずにドイツ語で素早く言い返すことができないとなりません。「ドイツ語でだったらお母さんを簡単に言いくるめられる」なんて思われたら困るもの。権威的な子育てをするつもりはありませんが、ドイツのティーンエイジャーは一般的に日本のティーンエイジャーよりもずっとずっとませていて、しかも学校教育で議論やディベートを習って鍛えているので大変手強いのです!

 

日本からドイツに戻って以降、純粋な語学としてのドイツ語の勉強というのはしていませんでしが、この時期はドイツでの学校生活という私自身の人生に欠けていた部分を埋めていくこと、そして、子どもたちとのやり取りの中で必要なドイツ語の運用力を鍛えるということが私の「ドイツ語学習」の中心となっていたように思います。

 

息子が遂にギムナジウムを卒業して大学に進学したときは嬉しかったです。もちろん、子どもの成長が嬉しかった、とうとう成人してくれて感無量ということもありましたが、それだけでなく、「育児を通じて、ドイツのことがだいぶ理解できた」「空白の23年間を埋められた」という気持ちが強かったのです。私のドイツ生活は24歳のときにやって来てドイツの大学に入学するところから始まりましたが、それ以前の部分、つまり「ドイツで生まれて、ドイツで幼児期を過ごし、学校に入学してやがて卒業する」という部分が空白でした。子どもを育てることで「ドイツで生まれ育つ」というのはどういうことなのかを追体験することができた。そして子どもはとうとう大学生になり、私は自分のスタート時点に戻って来たわけです。

 

嬉しかったですね〜、ほんとに。

 

背景知識を持たない国で子どもを育てるというのは大きなチャレンジで、まるでもう一つの人生を生き直すかのような体験です。うまくやれた自信は全然ないけれど、こういう体験ができたのは貴重だったなと今は思えています。

 

まだ、成人していない娘がいるんですけどね、、、あともう少しです。

 

(最終回に続く)