ドイツ語習得の長い長い道程 Vol.7 夫の専属通訳時代

on

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 

2002年、長年住んだドイツを離れ、私は夫と二人の子どもと共に日本へ帰国しました。

このとき、息子6歳、娘3歳。

夫はいわゆる駐在員の立場だったので、本来であれば会社が用意する駐在員用の住居に住み、会社から生活上のサポートを受けるものなのですが、夫が「東京都内の外国人用マンションには住まなくていい。普通の日本の生活がしたい」と言うので、私たちは夫が勤務する埼玉の工場に近い場所に借家を見つけて住むことになりました。生活上のサポートも、「奥さんが日本人なんだったら、要らないよね?」と会社に判断され、自分たちで新生活の環境を整えることに。

子ども達は普通に地元の小学校と保育園へ。最初は日本語がたどたどしかった彼らですが、そこはさすが子ども!またたく間に日本語を吸収して「日本の子ども」らしくなって行きました。

ここは日本。普通に私の知っていることをすればいいのです!育児ドイツ語は海の彼方へ置いて来ました。開放感〜〜〜!

 

と思ったけど、、、、。

 

やはり甘かった。

 

今度は夫が子ども状態。なにしろ、日本語が全然わかりません。お役所や銀行や借家に関する諸々のことは、日本ではすべて私の担当です。まあ、日本語なのでそれはもちろんいいのですが、夫としてはすべて私に任せてノータッチでは不安だったのでしょう。一つ一つ聞いてきます。

「この書類は何の書類?何て書いてあるの?どういう意味?説明して」

ええ、もちろんドイツ語でね。

引っ越してからしばらくは各種手続きをしたり、車を買ったり、家具や電化製品を買ったり、やることがたくさんあります。それらの場面で夫にもわかるように常に通訳したり翻訳する必要がありました。夫はドイツ人らしく、細かいことを良く確認するので、訳すのはなかなか骨が折れます。(私は大雑把な性格なので)

 

ああ、日本ではこういう展開が待っていたのね〜〜。どこまでもついて来るよ、ドイツ語は。

 

それでも私に理解できる内容であればいいのですが、12年も日本を離れていたので浦島太郎になっている部分もあり、いまひとつ把握できない物事を夫にドイツ語で説明しなければならないのが厄介でした。

 

一番困ったのはインターネットの契約。その頃、ドイツでも日本でもインターネットが普及し始めていましたが、この時点(2002年)では一般家庭向けのサービスは日本の方が進んでいたのです。ドイツの私たちが住んでいた地域では、まだダイヤルアップ方式でした!日本に来て電話の契約をしようとしたら、何やらよくわからない言葉が案内用紙に並んでいる。

「何?DSLって?」

しかもプランが何種類もあり、それぞれ少しづつサービス内容が違うようなのですが、日本語の説明を読んでもちんぷんかんぷん。(← ネイティブなら何でもわかるんじゃなかったのか・・・) 私は今ではテクノロジーに関するこういうブログを運営したりしていますが、当時はこういう方面は苦手だった。

「何て書いてあるの?説明して!」

そう夫に急かされても、そもそもドイツにはまだ存在しないサービスをどうやってドイツ語で説明すればよいのか・・・・。途方に暮れました。

 

また、これもいかにもドイツ人らしいのですが、夫は大のDIY好き。ドイツでは月に1、2度はホームセンターへ行って、日曜大工のための工具や材料を買って来ては家の修理をしたり、何かを作ったりしています。当然、日本に着いたら早速、ホームセンターへGo!

しかし、ドイツのホームセンターと日本のホームセンターは似て非なるもの。売っているものはかなり違うんですよね。

「Dübelはどこだ?Dübelがないぞ?店員にどこにあるか聞いてみてくれ」

Dübelというのは石やコンクリートの壁にドリルで穴を空け、ネジを止めるためのものです。

 

(Anka Albrecht/Flickr)
こういうの (Anka Albrecht/Flickr)

 

Dübel・・・、Dübelって、日本語で何て言うんだろう?そういうもの、日本にあるのか?いや、何でもある日本のことだから、きっとあるだろう。でも、日本語で何て言うか知らないな・・・・。と考え、「はっ!」とそこで我に返る。

「いや、日本では借家の壁に穴なんて空けちゃいけないから!」

「え、どうして?」

「どうしてって、そういうことしちゃいけないの。借りた家に傷をつけると怒られるよ」

「ええ?じゃあ、どうやって壁に棚を取り付けるんだ?」

「壁には何も取り付けちゃいけないんだよ。棚は買って来て、床に置くの」

「えええ?だって、日本は地震が多いんでしょ?地震で棚が倒れて来たらどうするの」

「それでもダメなものはダメなの。大家さんに怒られるから、壁に穴は空けないで!」

 

やっとのことでDübelは諦めてもらいました。(ちなみに、Dübelは日本語では「アンカープラグ」と呼ぶそうです。ノラさんの運営されるドイツ生活情報百貨というブログに詳しく説明されています。ノラさんのブログはドイツで生活する上で本当に役立つ情報が満載なので、ドイツに住む予定の方や、すでに住んでおられる方にお勧めします。私も、このブログをもっと早く知っていればと悔しいです〜)

しかし、夫は他にも次々と「××はどこ?見当たらない。店員に聞いて」と工具や器具の名前を言うんですよねー。工具に疎い私はそれが日本語で何なのかがわからないし、そもそも日本で一般的なものなのかどうかすら不明。

店員さんに声をかけ、「すみません。ちょっと名前がわからないのですが、これこれこういう用途に使うこれこれの道具はありますでしょうか」と聞くと、店員さんは「はあ?」と言って首を傾げている。

「ですからえーと、こういう形でですね、、、」と手振りで説明するも、

「大変申し訳ございません。そういったものは当店では扱っておりません」

「ないってよ」と私が夫に言うと、

「そんなバカな!××も置いていないホームセンターなんてあるか!」

「でも、ないって言ってるんだもん」

「もう一回ちゃんと聞いてよ!」

はぁ〜〜〜〜、困ったね。

 

そんなわけで日本では、夫の専属通訳という大役が私を待っていたのでした。(想定してしかるべきだった・・・)

 

母語の異なる者同士が一緒に生活する場合、両方が同じ程度に相手の言葉が使えることは滅多になく、大抵はどちらか一方の言葉がメインになるようです。(または、互いに相手の言葉ができず、第三の言語を使ってコミュニケーションを取っているケースもあるようですが)我が家の場合は私の方が夫の母語に歩み寄って生活しており、それはドイツにいるときだけではなく、日本で生活する場合も同じ。もちろん夫も日本では日本語を勉強しましたが、3年7ヶ月の短い滞在だったので、どうしても私に頼りがちでしたね。

とはいえ、夫はそれ以外では日本によく馴染んで、職場でもプライベートでも日本人オンリーの環境でがんばってくれましたし、また周囲の人たちもドイツ人の夫を受け入れてくれてとても良くしてくれました(トップ画像は夫が地元の和太鼓グループに参加して舞台に立ったときのもの)。私たちが住んだ埼玉県西部は自然が豊かでとても美しく、いろんなところへドライブに行ったり、海や山や川で遊んだり、ドイツではできないことをたくさん満喫できました。

 

日本語環境の中で暮らし、子ども達と夫に日本の生活を通年で体験してもらうことができ、これで私も気が晴れました。そして、言葉を学ぶ必要がないのは楽だけれど、日本で生活してもやはりそれはそれでまた別の大変なことがあるもので、どこの国に住んでもそれぞれいろいろあるんだと思ったら、スッと気が楽になり、ドイツに帰ってまたがんばれる気がしたのです。

 

2006年3月、満開の桜に別れを告げ、私たちは再び機上の人となりました。

 

(次回に続く)