18歳のときには何が知りたいのかを知らなかった  生涯学習の重要性

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tes_1310

 

少し前の記事のようですが、こんな記事を読みました。

日本の成人の「生涯学習」率は先進国で最低

データえっせい」というブログを書いておられる教育社会学者、舞田敏彦氏が執筆された記事です。他の先進国と比べて、日本では高等教育機関で学ぶ成人が少ないという内容です。また、舞田氏は、同じテーマでこのような記事も書いていらっしゃいます。

成人のリカレント教育希望の実現率

一度社会に出てからもう一度大学に戻って、または大学院に進学して学ぶ人が少ないとはいえ、可能であればまた学びたいと思う人もやはりいるのですね。でも、それがなかなか実現しないのは、仕事が忙しくて時間がない、または仕事を続けながら学ぶための教育インフラが整っていないという事情なのかもしれません。

 

人々の人生を直線型(教育期→仕事期→引退期)から,リカレント型(教育期⇔仕事期・引退期)に変えることは,「生きやすい」社会にすることと同義です。後からやり直しができる社会では,18歳の時点において,万人が無目的に大学に押し寄せることはないでしょう。家庭の経済的理由で進学できなかった者には,後からそのチャンスが得られ,公正の機能も担保されます。

 企業で働く労働者にしても,「外」に出る機会を持つことは重要です。それがないと,今いる会社でしか通用しない,そこを切られたらおしまいの人間になってしまいます。先行きが不透明な時代にあって,そのリスクは果てしなく大きい。わが国でも,汎用性のあるスキルを武器に,労働者が複数の組織を渡り歩く時代もくることと思います。(成人のリカレント教育希望の実現率

 

日本では大学教育は「18歳〜22歳前後の若者が学ぶ場所」と認識され、事実上そうなっていますが、舞田氏が指摘するように、人生は必ずしも直線型でなくても良いのではないでしょうか。

「産まれました→学校に行きました→就職しました→退職しました→死にました」

これ以外のモデルもあって、いいのでは?

 

私の職業は翻訳者です。19歳のときにアルバイトで翻訳を始めて以来、育児休業中以外はずっと翻訳の仕事をしています。途中で1年だけ日本語教師をしたことがあり、また、翻訳と並行して別の仕事をしていたこともありますが、基本的には翻訳を生業として来ました。

子どもの頃の「将来の夢」は作家になることでした。文章を読んだり書いたりすることが小さい頃から好きだったので。作家にはなりませんでしたが(でも、ドイツ語の著書が一冊だけあります)、翻訳者になりました。当たらずとも遠からずですね。しかし、翻訳者になろうと思ってなったのではなく、気づいたら翻訳を始めていたという感じです。一時は文化人類学研究者になりたかったのですが、研究者には結局なれず、今も翻訳の仕事をしています。最初は英語の翻訳者として仕事を始め、その後ドイツに来たので、今ではドイツ語中心の翻訳者になりました。他の可能性も、もしかしたらあったのかもしれませんが、きっとこれで良かったのだろうと思っています。翻訳は楽しい仕事です。

翻訳がなぜ好きかというと、

  • 文章を読んだり書いたりすることが好きだから
  • 外国語を使うことが好きだから
  • 未知の世界に触れられるから
  • 新しい知識が身につくから
  • 考えることが楽しいから
  • 一人で作業することが好きだから
  • いつでも(ほぼ)どこでもできるから
  • 性別も年齢も外見も関係ない仕事だから
  • (ほぼ)成果物のみで評価してもらえるから

ですから、翻訳者になって後悔していません。そもそも、あまり過ぎたことを後悔しない性格です。でも、これまでの人生において、ちょっと失敗だったかな、もっと良いやり方があったなと思うことはいろいろあるんです。

その一つは大学の学部選び。

高校を卒業して、私は大学の英文科(早稲田大学第一文学部)に進学しました。英文学が好きで、学生時代から原著をたくさん読みましたし(サマセット・モームが大好き!)、大学生活はとても楽しかったです。でも、キャリアプランという観点からすると、あのとき英文科を選択したのは賢くなかったという気がします。文芸翻訳者を目指したのなら話は別ですが、私は産業翻訳者になったので、英文学の知識そのものは仕事に役立っていると言えません。それに、大学在学中からすでに翻訳の仕事を始めていたので、英文科卒という肩書きは特に必要がなかったのです。産業翻訳者になると最初からわかっていたなら、もっと別の学科を選択していたと思います。

英文科に進学したのは、18歳の時点で、自分が何を知りたいかを知らなかったからです。

高校までの学科の中で一番得意だったのは英語と国語でした。それ以外の科目に特に興味があるものはなかったので、大学に進学するなら英語科か英文科、もしくは他の外国語学科かなあと、なんとなく考えました。英語が得意で受験でも良い点数が取れるから、英文科だと入りやすそうだと思ったのもあります。

そもそも、世の中にはどんな学問があるのか、わかっていなかったという理由も大きいです。

高校までは家と学校との往復しか知らず、読書は好きだったものの、視野があまりにも狭かった。何を勉強するべきかがわからなかったというよりも、自分が何を学びたいのかすら、わからなかったのです。そんなわけで、なんとなく英文学を勉強したのですが、大学在学中に旅行の楽しさを知り、アメリカや東南アジアを旅行するようになりました。そして、異文化の魅力に取り付かれるように。

で、気づいたら、ドイツへやって来て、ドイツの大学に入り直して文化人類学を勉強していた。入学当時、25歳。その直前の1年間、ケルンの日系企業で翻訳の仕事をしていたのですが、「大学に入学することになったので、辞めます」と上司に報告したら、「え、今から大学!?」と驚かれてしまった。でも、今度は「なんとなく選んだ」のではなく、「勉強したくて選んだ」学科だったので、自分で言うのもなんですが、本当に一生懸命勉強したんですよ。覚えたてのドイツ語で学問をやるのは大きなハンデでしたが、学びたいという気持ちがとても強かったので、それほど苦になりませんでした。

文化人類学には本当にハマって、研究者になることを目指しましたが、いろいろな理由でその希望は叶いませんでした。研究者になりたかった頃は、翻訳の仕事は「研究者になるまでの繋ぎ」のつもりだったんですが、結局、研究者にはならなかったので、結果として翻訳は私の職業になったというわけです。文化人類学を学んだのは、異文化を知りたかったから。その欲求はかなり満たされたので、勉強してよかったと思います。また、ドイツで学問をするという経験により、ドイツ語で抽象的かつ高度な文章を読み書きする能力を獲得することができました。これは私にとって大きな宝です。

でも、これもキャリアプランという意味では、最適だったとは言えません。英文学も文化人類学も、産業翻訳という仕事においては直接役に立つものではありません。「あなたの専門分野は何ですか?」とクライアントに聞かれたときに、答えようがないのです。専門分野がないので、結果としてどんな分野の仕事でも引き受けるということになり、それはそれで勉強になるのですが、強みを持たないというのは仕事において大きなデメリットになってしまいます。それが翻訳者としての私のマイナス点でした。

そんな私が再び大学で学びたくなったのは、育児休暇の最中。育児というのは肉体的な作業が多く、体はどっと疲れても頭の方はそんなに使わないんですよね。知的な作業をそれほどしない状態が長いこと続くと、かなり欲求不満になりました。そして、また何かを学びたい、学んだことについて誰かと議論したいという気持ちが日に日に強くなって行ったのです。

過去には英文学という人文科学、そして文化人類学という社会科学を学んだ私ですが、子どもを持ってからは自然現象や生き物の面白さに目覚め、自然科学に興味を持つようになりました。それがどんどんと強くなる。知りたい、学びたい、理解したい。その欲求が次第に抑えられなくなって来た。

大学に戻りたいなあ、、、、。でも、子どもがいるから通うのは困難だし。

悶々としながら、どうにかして学ぶ方法がないかとあれこれ考えて、見つけたのは「オンライン大学で勉強する」という選択肢でした。イギリス在住の知人に「イギリスにはオープン大学という誰でも入学できる通信制の大学がある」と教えて貰ったときの衝撃は忘れられません。聞いてすぐにオープン大学のウェブサイトにアクセスしました。そして入学手続きを取ったのは、わずか数日後のことだったと記憶しています。

 

また大学生になったときには、本当に嬉しかったです。当時、42歳でした。

始めてみると、自然科学の面白いこと!かつて文化人類学にかけた情熱と同じくらいの情熱を注いで勉強しています。

その歳で今さらって?

いいえ、そんな歳だからこそ、学べるようになったんです。18歳の私には自然科学の面白さが理解できませんでした。物理も化学も苦手で、そんなことと自分は無縁だと思っていたんですよね。いろいろな人生経験を経て、初めて興味を持てることがたくさんあります。若いときには能力的に無理だったけれど、歳を重ねて脳が成熟し、ようやく理解できるようになることというのがある。学びは若い人の専売特許ではないんですね。

キャリアプランということでいえば、、、自然科学分野の勉強を最初にしておいた方がよかったなあとは感じます。現在、主に技術分野や医療分野の仕事をしていて、今度こそ大学で学んでいることが仕事に直結していますが、順番としては高校を卒業した時点で、英文科ではなくもっと別の分野、たとえば生物学とか薬学とかを学んでいたら、こんなに遠回りすることはなかっただろうなあと思うのです。冷静に考えれば、ちょっと失敗でした。

でも、しかたないですね。18歳の私にはわからなかったことなので。

何が知りたいのか、何を学びたいのかがわからないときに大学に行き、本当に学びたいわけではないことをなんとなく勉強する。そして、その後の人生ではもう学ばない。

もし、それが一般的なら、残念なことではないでしょうか。

自分が知りたいことって、知るきっかけがあって初めてわかるものです。長い間生きて行くうちに、いろいろなきっかけを得て、知りたいことが増えて行く。生きるということは知るということでもあり、知ることで人生が豊かになる。

大人だからこそ、学びたいし、学ぶ意味があると思うんですよ。何歳になっても、人にはその後の人生をより豊かにしようとする権利があります。

大人のための学びの機会、成人を対象とした教育機関が今後、より充実することに期待しています。

 

科学に関する記事を書いている別ブログ、Sci-Tech-Germanyでも生涯学習についていろいろ書いています。もし、ご興味があれば。

 
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