ブルガリア・プライベートツアーの2日目。
前日、観光ガイドであるはずのジョージフさんの怠惰ぶりに呆れた私達。結局、ジョージフさんaliasカルパッチョが案内してくれたのは朝9時から夜19時までのツアー中、ほんの15分ほどでした。
「今日こそはカルパッチョもがんばってくれるのだろうかね」と言う私にA子さんは、
「いや、それが今日はカルパッチョは来ないかもしれないとツヴェタナさんが言っていたよ」
「えええ?」
長距離を運転し、観光案内をしてくれた奥さんのツヴェタナさんはさぞかしお疲れだったでしょう。もしかして、帰宅後、ツヴェタナさんはカルパッチョに夕飯も作ったのだろうか???
ロビーに降り、玄関付近に目をやった私達。
「やっぱり!カルパッチョ、来ていない!」
「おはようございます」とツヴェタナさん。
「ジョージフさんはどこですか?」
「今日は家で寝ています。昨日は、家で留守番するのは退屈だと言うので連れて来たのですが」
留守番が嫌だから奥さんについて行く?かつて日本で流行った「濡れ落ち葉」という言葉が脳裏をかすめます。
2日目のツアーでは、最初にソフィア郊外のボヤナ地区にあるボヤナ教会を訪れました。道中、ツヴェタナさんはブルガリア人の交通マナーの酷さを嘆いていました。しかし、ブルガリア人の運転マナーが特別悪いとは、私は感じませんでした。もっと運転マナーの悪い国はいくらでもありますよ。(たとえばスリランカとか)
「これだからブルガリア人はダメなのです!」
始まった!ネガティブキャンペーン。
「ブルガリア人は協力し合うということができません。みんな自分勝手。共産主義時代はもっと統制が取れていましたが、管理する者がいなくなったらこの有様ですからね。困ったものです」
ツヴェタナさんは大変批判的な人物のようです。

例によって写真撮影禁止ですが、ユネスコの世界遺産に登録されているボヤナ教会の内部にはルネサンス以前の美術の傑作とされる見事なフレスコ画があります。大きな教会ではありませんが、内部は目を見張る美しさ。(こちらのサイトで画像が見られます。BGMも美しいので、是非クリックしてみてください)
高台にあるボヤナ教会とその周辺は緑豊かでとても美しく、高級住宅地であることが見て取れました。ボヤナ地区の景観を味わい、ボヤナ教会についての説明を受けたのは興味深かったのですが、でも、観光そのものよりももっと面白かったのはガイドのツヴェタナさんの個人的なストーリーや主観たっぷりの社会批判でした。ツヴェタナさんはヨーロッパの歴史文化に造詣が深いだけでなく、政治や環境問題、教育、そして自然科学の分野にまで幅広い知識を持っていることが判明しました。
ここまで博識のツヴェタナさんは、一体、何者?
「失礼ですが、ガイドのお仕事はもう長年やっていらっしゃるのですか?」
「ええ、もう随分になります。でも、夫のジョージフはもっとベテランで、30年以上の経験があります。彼の母、つまり義母もガイドをしていました。英国のサッチャー首相がブルガリアを訪れたとき、ガイドを勤めたのはジョージフの母です。ジョージフは語学の才能があり、英語・フランス語・イタリア語・スペイン語・ヘブライ語ができます」
カ、カルパッチョ、すごい・・・
「でも、私もジョージフも元々はガイドが本職ではありません。私達は本来は画家です。私の妹も彫刻家ですし、姉は文化庁に勤めています。我が家は芸術家の家系なのです。でも、現在はもう画家として生活して行くことは難しいです。人々は芸術の価値を理解しません。共産主義時代はこんなことはなかった。ブルガリアはすっかりダメになりました。共産主義時代、ブルガリアには素晴らしい教育がありました。芸術だけではない、自然科学の分野でも質の高い教育が維持されていた。でも、今は目も当てられません。地方に行けば、古き良き共産主義の伝統がかろうじて残っていて、まともな教師もいますが、都会はダメです。だから息子は私が自分で教育したかったのですが、許可されなかったので息子の才能をうまく伸ばすことができませんでした。残念です、、、。頭の良い子だったのに」
なるほど、ツヴェタナさんとカルパッチョは芸術が国家により保護されていた共産主義時代のエリートだったのですね〜。道理で並外れた教養があるわけだ。そして、カルパッチョはもう半分リタイアし、仕事を妻にバトンタッチしたということなのかな。
「娘にはフランス語をマスターするようアドバイスしました。英語くらいできても、たいして役に立ちません。希少価値にならなければ」
「すごいですね。ところでさっき、ブルガリアはダメになったと仰いましたが、ブルガリアもだんだんと発展しているのではないのですか?経済状況はそんなに酷いのですか?」
「ブルガリアは悪くなる一方ですよ!それというのも、あのマフィアの連中のせいなのです。共産主義時代の一握りのトップが国の財産を私物化して、やりたい放題!ロシアと同じ構造ですよ。彼らはすべての情報を握っていましたからね。どこにどれだけの金や財産があるか把握していて、それをサッサと自分の物にして金持ちになったのです。彼らにとっては、国がどうなろうと、社会がどうなろうと、どうでもいいこと。自分たちさえ富めばそれでいいのです」
ははぁ。
「このままではブルガリアは滅亡してしまうでしょう!」
そ、そこまで?
そういえば前日、ジョージフさんが説明してくれたところによると、ブルガリアの最大の産業は観光業で、それに続く収入源は国外に出稼ぎに出た人たちからの送金だそうです。そして確か、ブルガリアの人口は減少している。懸念材料と言えば懸念材料なのでしょうね。
教会の見学を終えた私達は、次は世界遺産のリラ修道院へ向かいました。途中、ガソリンスタンドで休憩。ツヴェタナさんはいつものようにコーヒーを買い、お菓子にパクつきます。ツヴェタナさんは売店のある場所では必ずコーヒーとお菓子を買っていました。運転手兼ガイドの重労働に加え、社会問題をあれだけ真剣に考えていれば、頻繁に糖分でも補給しなければやっていられないのかもね〜。
状態の悪い山道を運転しながら、道路工事のやり方を批判するツヴェタナさん。
「なんていう仕事の進め方でしょう。まったく効率が悪い!これだからブルガリアはダメなのです!」
いや、もっと酷い国はいくらでも、、、、。
ついにリラ修道院に到着。
すごいーーーー。
これは圧倒的な美しさ。見に来た甲斐がありました。
修道院の外壁のフレスコ画についてツヴェタナさんから説明を聞いているとき、A子さんがあることに気づきました。
「この文字は、キリル文字とは別の文字ですね?なんという文字ですか?」
「これは⚪︎⚪︎文字という古い文字です」(← 聞いたけれど、忘れてしまいました)
「ツヴェタナさんはこの文字が読めるのですか?」
「はい、読めます」
「一般の人も読めるものなのですか?」
素朴なA子さんの質問に、一瞬、キッとなったツヴェタナさん。
「一般の人ですって?申し訳ありませんが、私は一般の人ではありません。私は教育を受けた者です!」
僧院を見学した後は、修道院博物館へ。この博物館は「ラファイルの十字架」という木製の十字架があることで有名です。14世紀に修道僧が修道院内に開設した学校に関する展示物もありました。
「ブルガリアには元々、このような優れた教育が存在したのです。このラファイルの十字架を見てください。素晴らしいでしょう!まさにマスターピースです。このような緻密な芸術作品を完成させるのにどれほどの時間と忍耐、スキルが必要だったか。ラファイルはこの十字架を作りながら視力をしだいに失い、最後には失明してしまいました。このような素晴らしいブルガリアの文化をオスマン帝国は無にしたのです。トルコ人は我々ブルガリア人からすべてを奪って行きました!ブルガリア人は奴隷にされたのです!」
むむむ、、、。ツヴェタナさんの憤りはただ事ではなさそうです。
もしや、、、、。
「なるほど、そうなんですね。現在のトルコの政情についても、ご憂慮されているのでは?」
「ええ、本当に心から憂慮しています。今、この博物館で私があなたたちにお見せしている事実、ムスリムがヨーロッパを乗っ取ったという事実、これが再び起ころうとしているのです。現在の状況はブルガリア解放以来、最悪の危機と言っていいでしょう。ヨーロッパにムスリムを入れてはいけないのです!」
うーむ。なんだかトルコの政情の話が難民問題にすり替えられた感もありますが、ツヴェタナさんにとっては隣国トルコの脅威とムスリム難民問題は切り離せないものなのかもしれません。
オスマン帝国支配下のブルガリア人の生活がどれほど苦痛に満ちたものだったのか、部外者の私には知る由もありませんし、ツヴェタナさんも自分でそれを体験したわけではないですが、彼女の話から、ブルガリアの人々は現在のトルコの動きやシリア難民問題に関し、ドイツに住む私にはとても想像できないほど大きな懸念を抱えているのかもしれないということを感じました。
私はトルコにも旅行で行ったことがあり、そこにはドイツやブルガリアと同じようにごく普通の人々が生活していることを肌で感じて帰って来たので、ムスリム=問題を起こす人達だという考えは持っていません。しかし、トルコと国境を共有する国の人々の感情がどのようなものかを知っておくことは大事なことだし、異なる宗教の多民族共生は理屈だけでは機能しない、難しい問題であるのだと確認する機会となりました。
ツヴェタナさんは博識で、ブルガリアに関する予備知識ゼロだった私にとても多くのことを教えてくれ、大変勉強になりました。それに、観光とは直接関係ないプライベートの話もどんどん聞かせてくれたので、ブルガリア人の生活や考えについても少しは知る機会が得られ、有意義なツアーだったと思います。。
しかし、、、現地の人にものすごいネガキャンを展開されて、唖然としたのも事実。
ツヴェタナさんは誰に対してもあのような話をするのだろうか?
きっと、観光客がヨーロピアンだったら、少し違ったのではないかと思います。欧州の人は、それぞれ自国の状況や価値観によって異なる政治的見解を持っているでしょう。ツヴェタナさんとはまったく異なる意見の人もいるはずです。また、当然のことながら、トルコやその他のイスラム教の国から来た観光客に対しては、今回私たちにしたのと同じような主張を繰り広げることはしないはずです。
私とA子さんが「部外者」のアジア人だから、客がたった二人の個人ツアーだったから、話に反論したり疑問を挟んだりせずに受け身で聞いていたから、ツヴェタナさんは安心して日頃の不満をぶちまけたのかもしれません。だとすると、私達はかなりの本音を聞いたことになります。そして、彼女の意見は主観的で、偏っているかもしれないけれど、ツヴェタナさんは決して嫌な人ではなく、知的で勤勉で真面目で善良な人だという印象を私は持ちました。
ここにはツヴェタナさんとの会話をすべて書くことはとてもできませんが、いやはや、濃い2日間でしたーー。
修道院見学の後、ツヴェタナさんのお薦めレストランでお昼ご飯を食べながら、お喋りの続きをしたのも楽しかった。
「お家では料理をなさるんですか」とA子さんが聞くと、
「もちろんです!」
はぁ〜、カルパッチョはやっぱり、奥さんにすべてをやらせているのね〜と内心思いながら聞いていると、
「ブルガリア人の男はスポイルされていてダメです!」
笑
プライベートツアーって、面白いですね。機会があれば、また是非、体験したいです。
(注: この記事に書いたことは、私が一個人である観光ガイドから聞いた話をまとめたもので、ガイドの主観によるバイアスがかなりかかっている可能性があります。これがブルガリア人の一般的な見解を代表するものではありませんし、私も鵜呑みにしているわけではありません)