ブルガリア旅行 プライベートツアー コプリフシティツァとプロヴディフ

ブルガリア旅行記の続きです。

 

ソフィアに到着し、1日かけて市内をざっくりと観光した後、私とA子さんはソフィア以外の観光地へ足を伸ばそうと考えました。A子さんが日本から持って来た「地球の歩き方」を開き、日帰り可能な目的地をいくつかピックアップしてプランニング。しかし、自力での移動には「キリル文字が読めない」というハードルがありました

そこで、観光地へのバスツアーが出ていないか、ホテルのレセプションで聞いたところ、フロント係がどこかに電話をかけ、問い合わせています。

 

「ツアーは可能です。お客さんはあなた達だけなので、ご希望通りのツアーを組めます」

それはプライベートツアーという意味ですかと聞くと、そうだとのこと。

「ガイドさんは英語で説明してくださるんですよね?」

「もちろんです。ガイドなんですから」

フロントの人はちょっとムッとしている様子。先日行ったスリランカではドライバーやサファリのガイドがあまり英語を話さなかったので、ブルガリアは大丈夫かとつい、聞いてしまったんですが、失礼な質問だったようです。

ツアー料金はそれほど高くなかった(丸2日で一人150ユーロ)ので、翌日と翌々日のツアーを予約し、わくわくしながら寝ました。

 

翌朝9時。

「ガイドが到着しました」

フロントから電話があり、ロビーへ降りて行くと、60歳くらいの男女2人組が私たちを待っていました。

一足先に彼らに挨拶したA子さんによると、男性は「ガイドのジョージフです」と、女性は「ドライバーのツヴェタナです」と自己紹介したとのこと。早速、用意された車に乗り込みます。ツヴェタナさんは運転席、ジョージフさんは助手席、私たちは後部席へ。

「女性の方が運転手なんだね、珍しいよね」と後ろでA子さんと話していると、15分くらい走ったところで車はガソリンスタンドにて停車。ガソリンを入れた後、ジョージフさんとツヴェタナさんは売店でパンを買って食べ始めました。

「ごめんなさいね。私たち、家が遠いもので、朝ごはんを食べている時間がなかったんです」

あれ?この二人は夫婦なのかな?

パンを食べ終わるとジョージフさんがソフィアの町の概要について説明し始めました。とても流暢な英語で、ブルガリア社会についての統計データも(たぶん)正確に把握している様子。有能なガイドであることが伺えます。

しかし、10分もしないうちにジョージフさんは説明を止めてしまいました。郊外に出たのでそれほど説明することもないのだろうと思い、後部席でA子さんと日本語でお喋りしていたのですが、ふと助手席の方に目をやると、

ジョージフさん、寝てる!

仕事中、客の前で居眠りするガイドさんって初めて・・・

 

さて、この日、最初に向かった目的地はコプリフシティツァ

Wikipediaによると、

コプリフシティツァは、19世紀のブルガリア民族復興期時代の特色をよく残した町である。町はソフィアの東111キロメートル程度に位置する山岳地帯の中にある。全部で383件ある建物のほとんどは、修復によりかつての姿を保っている。武器や民族復興期の芸術作品、工芸品、織物、刺繍、民族衣装、宝物など、当時のブルガリア人の民族誌学的な遺物も数多く保存されている。また、1876年にオスマン帝国の支配に対する抵抗として始まった4月蜂起の、最初の引き金となった町である。

 

コプリフシティツァに到着すると、「ガイドの」ジョージフさんではなく、なぜか「運転手の」ツヴェタナさんが町の説明をしてくれました。

「コプリフシティツァは1876年のブルガリア民族解放運動(4月蜂起)において中心的な役割を果たしましたが、観光業以外の産業がないことから現在ではオープンミュージアム化しており、ここで働く大部分の人は近隣の別の場所に住んでいます。コプリフシティツァには民族復興期(National revival period)に建築された美しい屋敷がいくつも残っています。欧州の先進都市で高等教育を受け、革命の担い手となったインテリ活動家らの邸宅のいくつかは、現在、ミュージアムになっており、当時の様子を知ることができます。たとえばこちらは・・・」

へえ〜、オスマン帝国支配からの解放とそれに続く文化復興運動はブルガリアの歴史において最も重要な意味を持つ史実なのねと、感心しながら話を聞きつつ、あれ?やっぱりツヴェタナさんがガイドなのかな?でも、運転していたのもツヴェタナさんだし、、、。それとも彼らはやはり夫婦で、臨機応変に夫婦で交代しながらガイドの仕事をしているのだろうか。

 

 

コプリ3
コプリフスティツァ

 

コプリ4
リュトフの家

 

コプリ5
カプレシュコフの家

 

コプリ6

 

コプリ7

 

ブルガリアではミュージアムの多くや教会内部の写真撮影が禁止されているため、最も素晴らしいものは残念ながらカメラに収めることができませんでした。(ご興味のある方は、地球の歩き方のこちらのページをどうぞ。)民族復興期に建てられた邸宅は、中央の丸い広間を取り囲むようにして個室があり、広間の片側の壁には大きな窓がついていて一種の縁側のような空間になっています。インテリアや生活用品の中にはトルコ文化の影響を色濃く表すものも多く見られました。しかし、ここで「まあ、素敵!似た物をトルコでも見たことがあります!」などとブルガリアではむやみに言ってはいけないことが、この後、わかります

 

ミュージアムの展示について説明しながら民族解放運動とその担い手であるブルガリアの知識層について熱く語ってくれたツヴェタナさん。

「民族解放運動では多くの男性が命を落としました。残ったのは女性ばかり。女性だけで世の中を回さなければならず、当時はとても大変だったのです」

ミュージアムには美しい刺繍を施した民族衣装の数々が展示されており、「手が込んでいますね」と私が刺繍を褒めると、

「そうです。大変な労力を必要とする仕事です。当時の女性は朝起きてから夜寝るまで、仕事仕事仕事。女の人生は仕事ばかり!

あなたもね。運転手兼ツアーガイドの一人二役、お疲れ様です。

 

コプリフスティツァを一巡した私たちが町の広場に戻ると、ベンチにジョージフさんが座ってくつろいでいる。

「カルパッチョ!」

ツヴェタナさんがジョージフさんに向かって叫ぶと、ジョージフさんは面倒臭そうに立ち上がりました。

カルパッチョ?

「どうして今、ジョージフさんにカルパッチョと言ったんですか?」

すかさず聞くA子さん。

「それはその、、、別に意味はありません。ただのニックネームよ」

「お二人はご夫婦なんですね?」

「ええ、そうよ」

やる気なさそうなジョージフさんは働き者のツヴェタナさんのご主人で、ニックネームはカルパッチョ。だんだん夫婦のキャラが見えて来た。

 

民族解放の町、コプリフスティツァを後にした私たちが向かったのはブルガリアでソフィアに次ぐ第二の都市、プロブディフ。

 

コプリフスティツァからプロヴディフまでの道中、カルパッチョこと「ガイドの」ジョージフさんは爆睡。ようやくプロヴディフに着き、ジョージフさんと私たちを車から降ろしたツヴェタナさんは「車を停めて来るので、先に行っていてください。10分で追いつきます」と、走り去りました。

 

さっきまで寝ていたカルパッチョジョージフさん、ようやく仕事モードになったのか、滑らかな口調で案内を始めます。

プロヴディフは「フィリッポポリス」の名でも知られ、これは紀元前4世紀にマケドニア王フィリップに征服されたことに由来します。しかしその後、ローマ帝国時代に「三つの山」を意味するトリモンツィウムに改名され、さらにフィリベという名前を経て露土戦争によるブルガリア解放の際にプロヴディフと改称されました。プロヴディフには民族復興期の建築物が多く残っています。

 

コプリ1
ラマルティーヌの館

 

この屋敷、ラマルティーヌの館の造りは見ての通り、左右対称ではなく、右側の窓は往来に向かって突き出た構造になっています。当時の富裕層の家庭では、女性は安全上の理由から滅多に外を出歩くことがなく、ほとんどの時間を家の中で過ごしていたので、外の様子をよく見られるようにと女性の部屋に出窓を作る習慣がありました。

 

コプリ2
出窓が特徴的な家

 

 

やや英語に訛りのあるツヴェタナさんと比べ、カルパッチョジョージフさんの英語は大変流暢で、ベテランの風格があります。むむむ、やっぱりこの人はデキる人ではないか。プロヴディフではジョージフさんが本領を発揮してくれるのだろう。

 

と思いきや、10分もしないうちにハアハアと息を切らせてツヴェタナさんが坂を登って来ました。

「じゃ、オレはこれで」

と言ったのか、カルパッチョジョージフさんは、またどっかへ行ってしまった。

「ゼイゼイ、、、、では、ご案内しますね。ゼイゼイ、、、」

「Are you OK?」

私が心配して聞くと、ツヴェタナさんは、

「No, I’m not. Absolutely not. ゼイゼイ」

3杯目のコーヒーが入った紙コップを手に呼吸を整えるツヴェタナさん。

「ジョージフさんはどうしてあっちへ行ってしまったんですか?」

「He is tired.」

はあっ?

「でも、彼は何もしてないじゃないですか」とA子さん。

奥さんに運転も案内もさせて自分は疲れただとは。まったく、カルパッチョは、、、、。

 

この町でも肝心のものは写真撮影できなかったので、プロヴディフに興味のある方はこちらのページをどうぞ。

 

プロヴディフ1

 

プロヴディフ2

 

プロヴディフ3
ローマ劇場。現在もコンサートなどに使われている

 

町の中心地、ジュマヤ広場にはオスマン帝国時代に建てられたイスラム寺院、ジュマヤ・ジャーミヤがありました。モスクは現在も使われているのだろうかと思い、ツヴェタナさんに聞いてみると、

「ええ、残念ながら」

残念ながら?

「トルコなどから援助金を得ているのですよ」

眉間に皺を寄せてツヴェタナさんは説明しました。どうやら、オスマン帝国支配からの解放がアイデンティティであるブルガリア人には強い反トルコ感情、反イスラム感情があるらしい

 

ジュマヤ・ジャーミヤを背に、メインストリートのアレクサンダル・バテンベルグ通りの地下にはローマ時代の遺跡が残っています。

「これは素晴らしいですね!」

感嘆する私とA子さんにツヴェタナさんは言いました。

「お恥ずかしいことに、この遺跡の発掘・保存プロジェクトはブルガリアによるものではないんです。アイスランドがやりました」

「へえ、そうなんですか」

まったく、ブルガリアはダメです。みんな自分のことしか考えない。社会がどうなろうと、文化遺産がどうなろうと誰も気にしないのです。ブルガリア人は堕落しました

 

はあっ???

 

ブルガリアは文化遺産の維持という名目で、EUから多額の援助を得ています。でも、文化を守る気など誰もないのです。みんな金が欲しいだけ。金を得るために誰もがプロジェクトを立ち上げます。そして最後までやらない。中途で放り出されたプロジェクトばかりが増えていくのです。ああ、共産主義時代はこうではなかったのに!ブルガリアは落ちぶれました」

 

!!!!!!

 

なるほどそういう側面はあるのかもしれませんが、、、、自国の文化を外国人に紹介する立場の観光ガイドさんがこのようなことを言うとは。これではネガキャンではないですか。

目が点になった私とA子さん。

 

しかし、翌日、ツヴェタナさんのブルガリア・ネガティブキャンペーンがさらに大々的に繰り広げられることになろうとは、この時点で私達は想像していませんでした。

 

・・・次の記事に続きます。

 

注: この記事で書かれていることは、あくまで一人のガイドの主観的意見です。話を聞いた私達も、ガイドの意見をブルガリアの現実として鵜呑みにしているわけではありません