日本人であるとか、国際人であるとかよりも、自分であること

海外に住んでいると、自分が住んでいる国での人々の行動や考え方と日本での人々の行動や考え方の違いが目につくことが多いです。日本にいたときには気づかなかったことに初めて気づいて、「そういえば日本ではこうだったな。どうしてだろう?」と不思議に思うことが多々あります。

そういう意味では日本にいるときよりも海外にいるときの方が日本を意識しやすいですね。

 

うちの村のビーチ
うちの村のビーチ 夏はこんな時間を過ごします

 

ただ、海外滞在が長くなって行くと、だんだん現地に馴染んで来ますから、現地のやり方や考え方の方がしっくり来るようになったりもします。それはごく自然なことで、悪いことでもなんでもないと思いますが、現地化が進むにつれ、結果として日本的な要素はやっぱり薄れて行きます。

 

それってどう思いますか?

 

 

日本人が日本人らしくない考え方をしたり行動を取ったりするようになることは、望ましくないことでしょうか

 

いろんな考えがあると思いますが、私は「日本人は日本人らしくあるべきだ」とは特別思いません。海外に住む日本人の中には、日本人であることを自分のアイデンティティとして定義する人もいるようですが、私にとって、そこはそれほど重要ではありません。

日本人の両親を持ち、日本で生まれ育って日本で教育を受けたのですから、自分が日本人であることは疑いのない事実です。国籍も今のところ日本国籍を保持しています。日本語で読んだり書いたり話したり聞いたりすることが好きで、それを放棄する意思はありません。日本国内や海外の日本人と交流しています。

 

でも、それが私のすべてではない

 

10代の頃、アメリカに留学して英語を覚え、24歳でドイツへやって来て、それから今までの間にドイツで多くを体験しました。それ以外にもいろんな国に滞在して、そのたびに何かしらを吸収して来ました。それらすべてが私という人間を形作っています。

 

日本人という型に自分を押し込めなければいけないのでしょうか。

自分という人間は変化してはいけないのでしょうか。

 

そういう風にはどうも思えないのですよね。この50年に体験してきたことすべての集大成が今の自分です。そしてこれからも死ぬまではいろいろと体験して変わっていくわけです。それでいいし、それがいい。私という存在を定義するものは「日本人であること」だけではないです。それはたくさんある自分の属性の一つに過ぎません。

 

日本人であるからには日本人らしくあるべきだ!みたいなことを言われると、ちょっと反発しますね。日本人である前に私は私

 

それに、「これが日本文化だ」とよく語られることは、関東文化であることが多いのです。関東は日本の中心ですし、人口も一番多いので、関東文化を日本文化として思い浮かべる人が多いのはわかります。関東の人にとっては関東文化は紛れもなく日本の文化でしょう。

でも、北海道生まれの私にとって、関東文化は異文化です。気候風土一つとっても、関東の自然風土は私にとって故郷のそれではないんです。私の育った北海道中央部の風景はドイツの風景とそっくりで、気候も似ていて、全然違和感ありません。北海道は寒いので、冬の間は主に室内にいるのが一般的で、関東の人たちのように外に布団を干したり、大晦日に窓や戸をを開け放って大掃除したり、お正月に外で餅つきをしたりするのは一般的ではありませんでした。入学式の季節に桜が咲いていた記憶もありません。本州に移り住むまでは瓦屋根など見たこともありませんでした。

 

「⚪︎⚪︎はやっぱり日本の心だよね〜」という会話を聞いても、へえ〜、そうなのと感じることが多いんですよね。

日本人ならこれを愛するはずだ、これに誇りを持つべきだと言われても、よく知らないものを愛せない場合もあるし、自分とそれほど関連性のない事柄に誇りを持つというのも難しいです。

一時、ドイツを離れて埼玉に住んだことがあり、埼玉の自然や文化にはとても感動しました。特に飯能市にある竹寺の美しさは忘れられません。でも、どちらかというと外国人が「ジャパンは素晴らしい」と驚嘆するような感覚で、「故郷に帰って来た」とはあまり思いませんでした。私の原風景は北海道なので。

 

日本人でも思い浮かべる「日本」は生まれ育った場所や時代によって違い、日本人全員に共通するものはほとんど存在しないですよね。日本というのは多様な国で、「ザ・ジャパン」があると考えるのは実は幻想なのです。

 

そして、日本に住んでいるのは日本人だけではないですよね。日本国籍を持たなくても、日本に長く住んでいれば何かしらを吸収して日本的になって行くでしょうし、日本に愛着を感じたり誇りに思ったりする人がたくさんいるでしょう。日本人以上に日本に詳しく、日本を愛する外国人もたくさんいます。日本人ではない人たちの存在を含めた現実が日本なのだと思います。だから、あまり「日本とは」「日本人とは」「日本人として」とかっちり定義することは日本国籍を持たない人や日本以外のルーツも併せ持つ人たちを排除することにも繋がり、私はあまり好きではありません。社会や文化は固定されたものではなく、変化して行くものと思います。

 

逆に、「海外に出る人は真の国際人となるよう努力すべき」のような言説がよくありますが、それも私には今ひとつわかりません。外交官の養成の話でもないのに、一体何を言っているのだろう?

 

日本の外に住む人はみな「日本人として」そして同時に「真の国際人として」生きなければならないのでしょうか?

 

そんなことを他人から指示される筋合いがあるとは思えません。そうなりたい人は努力するのがいいでしょう。でも、海外に出る目的や理由は人それぞれ。海外に出る日本人の模範的生き方なんて、ないんですよ。

 

立派な日本人、立派な国際人として他人から褒められるために海外に行くわけではないでしょう。自分が自分らしく生きるための選択の中に、たまたま海外に住むということがあったに過ぎない自分は何人かということよりも、自分はどういう人間なのかということの方が私にとっては重要なんです

 

日本の外から日本を見ていて思うのは、日本人は日本を特殊だと思いたがる、日本と日本以外をきっちり分けたがる癖があるなあと感じます。でも、日本って、そこまで特殊な国ではないですよ。そして、海外と関わるのに、何も「日本人として」とか「真の国際人として」のように気負わなくてもいいじゃないですか。日本にやって来る外国人に真の国際人であることを期待しますか?典型的なアメリカ人であること、典型的な中国人であることを期待しますか?別にしないですよね。

 

私という人間は日本的かもしれませんし、日本的ではないかもしれません。それは見る人によって違います。日本人から見たら「外国かぶれしている」ように映るかもしれませんが、ドイツ人が見たら日本人らしく見えるのではないかと思います。いろんな日本人がいていいのだし、自分の中の日本の定義やウェイトが人と違っても構わないでしょう。

 

人からどう見られるかよりも、自分はどうありたいか。

 

自由に楽に生きたいです。